ichigo-gyunewの日記

やればできるフリーター24歳。日々感じたこと、ジャンル問わず共有

6/28 人生のスケッチ sketch

 

お久しぶりです。長らくそこらを流動していましたイチゴ牛乳です。

忙しくしていると、自問の時間が無くなりますね…

 

突然ですが、幾田りらさん(YOASOBI)の"Answer"って曲をご存じですか?

そのアルバム名が"Sketch"なんです。今回の記事のタイトルです。今聞いてます。

 

この曲の最初の1節

このまま、どこまで、歩いていくんだろ、鏡に映る自分を見つめて

のセンスが良すぎてこの歌詞を書いた方はどんな気持ちで書いたのかと思いふけらされます。私もそんな気持ちです。自分という存在が自分なようで鏡の中の自分なようで。実在するようで、しないようで。

 

やっと久々にこのブログを書いたのも、いつも応援してくれている方のお声がけです。

すでに自分の心をアウトプットすることで、私の中の抱えきれなくなり溢れそうだった悶々としたものが、少し浄化されます。背中を押してもらってありがたいです。

 

私だけなのか、人はなのか、やはり人と比べてしまうところがありますよね。

特に最近の私でいうと、仕事をフルタイムで淡々としている方。わたしにとってはすごいなと思う方々で、何故(なにゆえ)それほどになれるのか知りたくなるんです。

私がその人たちと同じ感覚を手に入れれば普通に働けるのかなと。

はたや、脇目も振らず夢を追いかけている人もいますよね。私はかっこいいなと思いつつ、崩壊の不安を感じるときがあります。

 

こうして、人と比較して参考にしつつ自分の立ち位置を確認しようとするのですが、

誰と重ねることもできず、

結局私は一筋縄ではいかないようなポリシーと頑固さを持っていて、

自分の中でしかきっと答えを出すことができないのだろうと思っています。

少し寂しいです。

 

未来の可能性は無限大であってスケッチブックのように何を書き始めることもできるし、最終的にぐちゃぐちゃな状態もできるし、計画されたきれいな状態にすることもできる。(私は今のところ前者でしょう…

 

私は最近、仕事・志を定められない理由を可能性を削ぎたくないからという綺麗ごとのような理由で、片付けようとします。これは本心で、自分はどうにでもなれちゃうと思っています。どれかを選ぶことで、ある意味可能性は狭まるんです。でも選択して進まない限り得られるものも少ないんです。

だからこそ、社会で役に立てる術は五万と転がっていて、皆さんはそれを感じたうえで道を絞って仕事をされているのか、このことを悩む時点で、私は特殊なのか、特別な対処が必要なのかそれが最近は特に気になります。(この言葉にはこの苦しみから解放される術が、他人にあると思いたいという心理が隠されています。

誰か私をいいように納得させて-!!っていう状態です。この思考に諦めがつくならいいんです。諦めがつく術があるなら。普通に働きたいんです。でも、諦めがつかないんです…

 

「減ってく時間増えてく荷物、孤独が僕を育てていく」

時間は今確実に進んで焦りを感じますよね。あと2倍ちょっと生きれないし、この体力がいつまでも続くわけではないです。荷物というのは人生これまで人からもらった想いや労力、そして自分が今まで経験してきたこと培ってきたもの。これからもっと増えていくもの。それに対して、唖然とするんですよね。処理し切れない。と…

 

未来を考えることは、人と話したり、忙しくしていることで、ごまかせはしますが、結局のところは自分(孤独)と向き合うことで自分の歩みたいと思う方向が見えてきますよね。向き合わなくても生きてはいけます。でも私は考えてしまいます、面倒くさくて辛いですけど。もっと向き合えることは私もそれはわかっているんです。

 

もう少し自分と向き合ってみようと思います。

私の人生の筆を握っているのはきっと私だけなので、書いたものと書いたもの結び付けたり、新しく書いたり、たまには一人寂しく満足げに見渡したりしてみたり、したいですね。なんだかりらさんが歌っているから孤独ではない気もしてきます。歌ってすごいですね。

 

ラスサビ

「このまま、どこまで、歩いていくんだろう、鏡に映る自分が頷く

未完成なままでいい、足りない欠片探して、日々をまた紡いでいく」