ichigo-gyunewの日記

やればできるフリーター24歳。日々感じたこと、ジャンル問わず共有

亡くなったはず猫が私を出迎えてくれた日

皆さんお久しぶりです。

 

少し前にブログの書き方などの勉強をしたので、それにのっとり文を書こうと思ったのですが、今日は今にも消えてしまいそうなこの想いや気づきを残すために、ぐちゃぐちゃに書きます。

 

この日私は夜遅く家に帰ると、門のところにとってもお行儀よく猫が立っていました。よく見ると数年前に亡くなって、庭に埋葬した、前飼いネコにそっくりな子でした。

名前は呼んでももちろん反応しませんが、車に乗っている私のほうをじっとり見ていました。そして近寄ると逃げて暗闇に消えてしまいました。

この付近では見かけない柄の猫だったので、今日はなにか特別な日なんだなと確信しました!!

 

というのも!

 

私は家庭教師を数カ月前からしているのですが、継続していかせていただいているお宅が3件あります。その一軒、記念すべき私の家庭教師人生を開いてくださった功刀さんのお宅に今日は運命かと思うほどの恩を感じました。

 

私は去年7月末に仕事を辞め1年たちます。

最初の半年間も今までもずっと内心は不安があったり、自分は何をしたいんだろうと自分一人で考えていて自分に毎日問いかけ続けていました。

私は基本何でも器用にやってしまうタイプなので、途方に暮れていました。

これだ!!!というものが欲しかったのです。

家族にも厳しく言われることがあったり、親戚に意見をもらったり、いろいろな人から意見をもらったり、自分の中では一意見と考えて、自分のペース絶対に崩さないようにと毎日毎日考えてきました。

いままで、進路を決めるとき周りの方のもったいないとかの声や、好きだった人や、恋愛など、ほかの人間関係などに引っ張られて、自分のペースを保てなかったところがあります。

こんなフリーターしているような私、せめても接する人に笑顔で絶対に心配かけちゃいけないなって思ってやってきました。

自分の不安もちゃんと自分で振り払って、かなりきついです。きつかったです。

 

おかげで精神的自立につながっているような気もします。人生の目標の一つにより真の通った精神的自立した女性になっていくか、というものができました。

死ぬまでの目標です。

 

苦しかったし、本当に不安でした。自分でも気づかないように絶対にそのことで泣かないようにしていましが、今日泣いてしまいました。

話がやっとここで戻ります。

 

いつも通り家庭教師に行って、生徒さんは夏休みなこともあって、ここ最近1カ月は少し勉強が億劫になっていました。彼自身中学では不登校で、もともと勉強は得意ではなく、でも今も頑張っています。私が行く前にしっかり宿題も終わらせて、私がやりたかったテスト直しをすることができました。彼はやる気は出ないけど、私が頑張れとかいうと頑張ってしてくれます。たまにスマホいじりますが。

終わるころにはありがとうございますといって去っていきます。

 

お母様と終ったあといつも学習状況を話すのですが、いつもにこにこと、息子さんのことを心配する表情もしながら見守るような顔で、話をしてくれます。期待と心配が混じったような話を。いつも通りありがとうございます。と言われて帰りました。

 

もしかしたら、私の優しい笑顔に・のほほんとしたおっとりとした雰囲気に安心してその顔を見せてくださったのかなとか自意識も少し感じました(笑)生徒さんに好かれているのも、その雰囲気が意識しなくても自然と生かされているのかなと。

 

毎回冷えたお茶を一本用意しておいてくださって、私も毎回ありがとうございます。と返し、玄関顔が見えなくなるまで見送ってくださいます。帰りながら、お母様からの感謝をすごく感じて泣いてしまいました。とても幸せだったのです。

 

そこで私は、私が先生という立場が好きな理由や人に教えることが好きな理由、

そして、昔から元気のない子や浮いてしまっている子、

闇を抱えていそうな子に声をかけに行っていた行動、

なぜか友達と会うといつも笑いの爆弾係みたいになったり、

楽しく過ごせるのも一緒にいる人が私といて楽しんでくれるのも、

そして昔ずっと好きでいた人、今の好きな人、似たようななぜかそれに自然と惹かれてしまう理由が

パーッっと開けるように一つに終着しているようで、それがわかったのです。

 

私は感謝されるのがすごく好きだから必要以上に人に尽くそうとするし、喜んで笑顔になってもらうことが好きで、笑ってない人を笑わせたいくて、

お菓子を作ることが好きで、機械に向かう仕事は好きじゃなくて、

人の顔色伺ってブルーになることはあるけど、やっぱり対人の要素がないと私の幸せ度合いが上がっていかないというかその方法をとれば私は幸せを感じ続けれるのだろうなということに気づきました。

ある意味人を笑顔にしたいという呪いのような感覚でもあります。

 

家庭教師は転職だったのかもしれません。人の可能性を広げることも私は大好きなんだなということに最近気づいたので、これからは、それ越しの笑顔だったり感謝のために生きていきたいというか、それが私の人生終えるまでの道しるべな気もします。やっぱし単純な言葉って、しっくりきますね。

 

きっと、地味なもの着実なものでなく、追加的に人を喜ばせたりエンターテイメント的なものが私の性にはあっているようです。人によればこれは地味なのかもしれません(笑)

 

(今日は、気が合って、仲の良い、私とそっくりな姉ともカフェに行ったのですが、

私が神戸に行く用事があるのですが、

姉は例えば神戸に用事があるけど一緒に行く?って現実性もないのに80歳祖母を誘うんだろうなと思って、

私は考えて一緒に行動する時間あるかなとか。でも姉はきっとそうするだろうな。

家族がみんなで少しでも楽しむことや一緒のことをすること楽しんだり。周りの人に対してもきっと回りくどいこと考えず考えれなく(笑)そうするのかなと、姉は仕事で疲れていてもみんなの声聞いてあげてるし、ほんとにあったかい人だなと父方の母の遺伝かななんて感じながら、あったかさを感じました。私もきっとその気が少しはあったのでしょう。あってホッとするような人にもなりたいです。)

やはり、サポートする仕事したいです。そこにばかりに依存はしたくないので、物を作るという自己満的な要素も追加して。

なんとなく道しるべが見えてきたので、今迷っているアルバイトや来年学校へ行ったあとの進路など、より人とかかわれるような仕事いいなと思います。

 

そして今私の中でキテいる人、彼は美容師志望です。きっと彼も気づいてはいませんが、私と同じようなそんな単純な理由で色々なものと引き換えにその道を選んだのかもしれません。私は、彼のその単純さと鈍感さと無鉄砲さに魅了されたのかもしれません。彼の夢を、私は私ごとのように応援します。というか、そこに矢印が向いているなら応援せざる負えません。元カレと違うところはそういったところだったのでしょうか。(笑)←ちょっときついですかね(笑)

美容師さんってやっぱりお客さんからありがとうと毎日絶対に言われますよね?それって本当に素敵なことだし、大変だとは思いますが、素敵な職業な気がします。私の通っている美容室の店長さんもとっても素敵な方です。

 

頭を使うような難しい職業は、スケールが大きいですし、年収もいいですが、イメージ的には、年収も低いような俗な仕事のほうがスケール小さいですがそういった感謝や感動を直に見ることができるような気もします。

私は頭は使えるようですが、いったん置いといて、いつかの時に使えればうれしいです。

 

前の仕事辞めてよかったし、今まで地道に苦しんで精神的に耐えてきたのもよかったし、接客業が好きと言っていた前職の店長に会いたくなりました。

出会った皆さんに感謝です。

果たして最後まで読み切ってくださった方はいるのでしょうか?(笑)

 

6/28 人生のスケッチ sketch

 

お久しぶりです。長らくそこらを流動していましたイチゴ牛乳です。

忙しくしていると、自問の時間が無くなりますね…

 

突然ですが、幾田りらさん(YOASOBI)の"Answer"って曲をご存じですか?

そのアルバム名が"Sketch"なんです。今回の記事のタイトルです。今聞いてます。

 

この曲の最初の1節

このまま、どこまで、歩いていくんだろ、鏡に映る自分を見つめて

のセンスが良すぎてこの歌詞を書いた方はどんな気持ちで書いたのかと思いふけらされます。私もそんな気持ちです。自分という存在が自分なようで鏡の中の自分なようで。実在するようで、しないようで。

 

やっと久々にこのブログを書いたのも、いつも応援してくれている方のお声がけです。

すでに自分の心をアウトプットすることで、私の中の抱えきれなくなり溢れそうだった悶々としたものが、少し浄化されます。背中を押してもらってありがたいです。

 

私だけなのか、人はなのか、やはり人と比べてしまうところがありますよね。

特に最近の私でいうと、仕事をフルタイムで淡々としている方。わたしにとってはすごいなと思う方々で、何故(なにゆえ)それほどになれるのか知りたくなるんです。

私がその人たちと同じ感覚を手に入れれば普通に働けるのかなと。

はたや、脇目も振らず夢を追いかけている人もいますよね。私はかっこいいなと思いつつ、崩壊の不安を感じるときがあります。

 

こうして、人と比較して参考にしつつ自分の立ち位置を確認しようとするのですが、

誰と重ねることもできず、

結局私は一筋縄ではいかないようなポリシーと頑固さを持っていて、

自分の中でしかきっと答えを出すことができないのだろうと思っています。

少し寂しいです。

 

未来の可能性は無限大であってスケッチブックのように何を書き始めることもできるし、最終的にぐちゃぐちゃな状態もできるし、計画されたきれいな状態にすることもできる。(私は今のところ前者でしょう…

 

私は最近、仕事・志を定められない理由を可能性を削ぎたくないからという綺麗ごとのような理由で、片付けようとします。これは本心で、自分はどうにでもなれちゃうと思っています。どれかを選ぶことで、ある意味可能性は狭まるんです。でも選択して進まない限り得られるものも少ないんです。

だからこそ、社会で役に立てる術は五万と転がっていて、皆さんはそれを感じたうえで道を絞って仕事をされているのか、このことを悩む時点で、私は特殊なのか、特別な対処が必要なのかそれが最近は特に気になります。(この言葉にはこの苦しみから解放される術が、他人にあると思いたいという心理が隠されています。

誰か私をいいように納得させて-!!っていう状態です。この思考に諦めがつくならいいんです。諦めがつく術があるなら。普通に働きたいんです。でも、諦めがつかないんです…

 

「減ってく時間増えてく荷物、孤独が僕を育てていく」

時間は今確実に進んで焦りを感じますよね。あと2倍ちょっと生きれないし、この体力がいつまでも続くわけではないです。荷物というのは人生これまで人からもらった想いや労力、そして自分が今まで経験してきたこと培ってきたもの。これからもっと増えていくもの。それに対して、唖然とするんですよね。処理し切れない。と…

 

未来を考えることは、人と話したり、忙しくしていることで、ごまかせはしますが、結局のところは自分(孤独)と向き合うことで自分の歩みたいと思う方向が見えてきますよね。向き合わなくても生きてはいけます。でも私は考えてしまいます、面倒くさくて辛いですけど。もっと向き合えることは私もそれはわかっているんです。

 

もう少し自分と向き合ってみようと思います。

私の人生の筆を握っているのはきっと私だけなので、書いたものと書いたもの結び付けたり、新しく書いたり、たまには一人寂しく満足げに見渡したりしてみたり、したいですね。なんだかりらさんが歌っているから孤独ではない気もしてきます。歌ってすごいですね。

 

ラスサビ

「このまま、どこまで、歩いていくんだろう、鏡に映る自分が頷く

未完成なままでいい、足りない欠片探して、日々をまた紡いでいく」

 

4月11日(12日)夢や目標の盲目さ

 

名:盲目 sightless  描:流動するいちご牛乳


このフリーター生活をしていると、常に自問自答を繰り返す。これは、かなりきついことである。時に焦りや不安がでてきたり、夢や希望を抱くこともある。これから、どんな形にもなれそうだからこそ、自由な思考や感情が襲ってきて嵐の中のようだ。

 

私はかつて、当時の自分にとっては誇らしく確固たる夢があった。教師になるということだった。私はその憧れを強く抱くようになって、それまでの人生の中にないほど、勉強やそれに向けた活動に一人夢中になっていた。その感覚を今も覚えている。その状態は3年間続き、大学3年生の時ある教授の一言で、ある意味、夢から覚めてしまった。私は、教師の夢をいとも簡単に諦めたのだった。

今になっては覚めていなかったら自分がどうなっていたのだろうと、羨望する反面、そこで立ち止まらなかったら視野が狭かったのではないかなと思う。

 

今、夢や憧れが明確にない私にとっては、夢や憧れというものは盲目にさせるものでもあるなとも思う。恋に盲目になる感覚と似ている。というのも、教師の夢を失ってから、迷子のようにいろいろな仕事に興味を持ち始めたからだ。それまでは、なにも検討することもなかった。

 

夢や憧れがあることはかっこいいし、それを追いかけているときは、とてもよく強いエネルギーが発生しているように見える。実際に私もそのような感覚だった。もちろん楽しいことだけではないし、苦しかったけれども、夢中になれる感覚はほかに代えられるものはないと思う。

 

私は、将来的には1つの分野でそのような夢中になれるような状態で仕事ができたらいいのになの考えている。その感覚を知ってしまったがゆえに、その状態になりたい戻りたいと思ってしまう。そのために、なかなか、理想だけで正社員求人に手が出ないし、また中途半端に終わってしまったような感覚にはなりたくない。だから、アルバイトなどを通して体感して夢中になれそうなものを探していきたいが、世の中には数えきれないほどの職種があって私がせいぜい例えば2年アルバイトしたとしても、世の職種全部を秤にかけることは毛頭できやしない。

 

そして、私の周りを見ればやはり堅実な方は多く、夢・目標を持ってか持たずしてか、入学した大学や専門学校の中で習得したスキルや経歴を生かして会社を選びその職を続けている。みんな将来を考えていたり、いろいろな事情があってそれを選択しているのだろう。立派だなと思う。つい周りを自分と比較してしまい、この今の贅沢な自由を憎みそうになってしまうこともあるが、私は昔からそうにしかなれないような性格だったのだろうとつい言い訳もどきをしてしまう。←この文章はかなり私の思考の葛藤が表れていますね。

 

そうこうしていると思考の迷路に深入りして、本当に寝れなくなってしまいそうなので、そろそろ寝ることにします。(笑)強制終了。おやすみなさい。

 

 

 

4月6日(7日) ”驚かされっぱなし”のパティスリーに出会った話

何となく深夜に起きていると、日をまたいでも明日を迎えた感覚しないですよね…。。。ということで本日は6日です。

 

今日は、山梨県の”THUBO"というパティスリーに行きました。

本来は友人の勧めでカヌレがおいしいという話で伺いました。

 

扉を開けると、店内はパティスリーでは聞いたことのないような、南国チックな音楽が流れており自然と口角が上がってしまいました。

そしてショーケースを見るとお目当てのカヌレが見当たらず、人気商品なのか!と思い

カヌレっておいていますか?」と店長さんに聞きました。

しばらく店長さんの考える音が聞こえ、

「作ったことはありますが、取り扱っていないです。」

と言われてしまいました。

 

あーっ!やってしまった…

と思いました。店長さんに置いていない商品をねだるなんて…

大変無粋なことをしてしまいました…

 

ところが、その店長さんはフォローするかの如く

カヌレについて語り始めました。

カヌレは出来立てがおいしいんです。ケーキのように時間がたたないほうがいいんです。だから、カフェなんかにおいてあるのはピッタリなんですよねー。」

カヌレってちょうど20年~30年前にはやってたんですよ。」

と、私はとても驚きました。こんなに"お店に置いていないようなスイーツについても(売り上げに関わらないようなこと…)”しゃべってくれるパティシエはいるのか!!と。私自身は小学校から高校生までパティシエになりたいと考えていた身ですから、聞き入ってしまいました。

これまでの人生の中で、店内で出会ったパティシエさんの中で、一番スイーツに対する熱量を一番感じられる方でした。

そこで、私も店長さんのお店に対する愛情も感じてしまい、ついケーキを買わされてしまいました。(自分で率先して買いました(汗))

 

帰り際にも驚くことがありました(笑)

なんと!店長さん玄関までお見送りをしてくださって、まるで高級アパレル店のように商品をお店の外で渡してくださったんです。

私の辞書に、”パティスリー~お見送り”の関連性は1ミリもなかったので、驚きでした。そしてついでに、クッキーシューも無料でくださって…「すぐ食べるのがおいしいです。」の一言までありました…今日は何の日なんだろう、夢ではないかと考えてしまいました。まるで別世界に来たような…

そして、急いで道中にクッキーシューをいただき、帰宅しイチゴのタルトをいただきました。タルトには珍しく緑色のスポンジが入っていて、おそらくピスタチオ味でした、そこにも驚かされ、店長さんに質問したいくらいでした。

そして、それらの出来事を超えて食べるスイーツは付加価値が上がりまくって、よりおいしく感じられました。

 

ここで、私なりになぜ店長さんがこのようなこと(エンターテイメント)をしてくださったか推測してみました。

・海外でパティシエのお仕事をした経験がある(海外では特別なことではない)→お見送り

・パティスリーをただスイーツを売るための場所だと考えておらず、スイーツの面白さやおいしさを知ってもらうきっかけを作る場所だと考えている。→カヌレの話

・スイーツに対して愛情深く、よりおいしく、無駄なく、提供され消費されることを望んでいる。→クッキーシューのアドバイス、無料クッキーシュー(フードロス)

勝手な妄想の可能性もありますが、そう考えると、世の中には私が出会ってないだけで素敵な心意気をしてらっしゃる方がもーっとたくさんいるんだろうな…と思いわくわくしていてもたっていられないです。もっともっといろいろな方の考えや心意気の垣間見える施しをみてみたいなーと。そんな刺激的な一日でした。

 

今日は素敵なご商売をされているそんなパティスリーのお話でした。

是非皆さんも訪れてみてください。店長さんがいらっしゃるとよいですね…

夕方ですと店長さんが直接お会計してくださるかもなのでお勧めです。↓

patisserie-tsubo.com

 

私の美容法

花粉の時期って肌もアレルギー反応おきませんか?

 

この時期はそれまでと同じ美容法をしていてはだめだと私は思っています。

アレルギー反応は免疫反応でもあるので、お肌の免疫を正常に保つ必要があるようです。ここでのキーワードはお肌のバリア機能です!これを保っていきましょう!

 

洗顔のあとは外で干したタオルではなく、ティッシュを!

顔パックを一日でも多くすること!

 

これで少し改善します!!お試しあれ!

 

P.S.年を重ねても、いつまでもきれいでいたいですね。

参考:

アレルギーは免疫の過剰反応によって起こる!その種類やメカニズムとは | やさしいLPS

4月2日 フリーターでも人のためになりたい

※この記事は最初は”私にとっての心理学”のつもりだったので、私と心理学との出会いのはなしから始まってしまっています。(笑)すみません。

  1. 私と心理学の本との出会い

    私は高校時代人間関係でトラブルがあり、人間不信になりました。

    そんな時にやたらめったら買いあさっていたのは心理学の本でした。

    何とか人間不信を克服するため男女間の価値観の違いや、行動で見えるその人の性格の特徴などをつかんで円滑にコミュニケーションをとろうとしました。そのおかげもあってか今はとてもありがたい方々に囲まれて生きれています。

     

    それまで、わたしは本は自然と読んでしまうほど好きなものではありませんでした。

    私にとってその時期を通してどんな本でも、本は自分のために読むものなんだなと感じることができました。今になってはありがたい経験です。 

     
  2. 今も変わらぬ自分がいた

    そして最近なんだか、フリーターながらも周りの人を元気にする人になりたいと考えるようになっています。今までは何となくそう行動していたところはありますが、最近はきちんと誰かの力になりたいとか継続的に支えたいと考えるようになりました。

    それはもしかしたら、フリーターになって今自分の将来に悩んでいるなかで、相談にのって応援してくれたり支えてくれる人がいるからかもしれません。その恩返しがしたいというか私が本当にされてうれしかったことなんだと思います。

     

    はっ!!

    今きづいたのですが、私が”そう”なりたいと思うのは人に助けられた時かもしれません。というのも、私は多感な高校時代、恩師に精神的なサポートをしてもらっていました。私はその先生にあこがれ感謝もあり教師になろうと志し、大学で数学の教員免許を取得しました。今となっては教師でなくて、カウンセラーや心理士などもっと直にメンタルサポートする仕事・進路を選ぶのもありだったのかなと感じています。

     

    最近、私の周りでも鬱気味になってしまう人がいて、支えてあげたいんです。私は人から”良く話を聞いてる”とか”コミュ力が高い”とか”偏見がない”なんて言われます。自分でもそうだなと思いますし、意識していることでもあります。おかげで見境なく誰とでも仲良くするので、大変な目にあうこともありますが(笑)

    その特徴を生かして、ほんとはもっといろんな人の話を聞いてあげて、自己承認してほしいというか、自信をもってほしいと思っています。家庭環境が悪かったり色々で障害を持ってしまう人もいますが、そんな人が少しでも生きやすいように支えてあげたいんです。

  3. これからの自分と心理学科のススメ

    家庭教師で教えている不登校気味だったけど高校合格したから頑張って学校にまた通おうとしている子、家庭環境が悪くても自分に自信を持つため競争が激しい業界に足を入れようとしている友人、自分探しや挑戦で海外にワーキングホリデーにいって何のために来たかわからなくなってしまっている友人、大学を一度は休学して自分と向き合うことを選択して復学検討中の友人

     

    それぞれみんな自分に課題を課したりしていて本当にかっこいいなと思います。

     

    今日は、心理学科通信教育の入学説明会を受けそこでカウンセリングについてのプチ講義を受けました。教授によると心理療法はなんだか200種類以上あるらしく、いろんな解決手段があるのだなと感じました。心理学は理系だといっていて、自分が理系なので少しうれしくなりました。学習に身が入ります。

     

    これからどんな自分になるのかわかりませんが、なにか、望むことや自分の中で非常に意味のあることが1分1秒でも多い人生にしたいです。

 

 

 

 

 

 

4月2日 流動するいちご牛乳、ブログ始動。

山梨の今日はとても天気が良く、桜も満開です。

たまには桜を見ることなどを通して、人間らしい感性を刺激することは、なんとなく、ストレスから離れる方法として大切だと私は考えています。

 

さて、このブログは何となく始める形になりました。始めた理由は、

・自分の感じたことを誰かに共有したい。

・誰かが記事を見てなにかを感じる機会にして前向きに活動する糧などになればよい。

・フリーターなので何か始めたかった。

・自分の思考をアウトプットすることで、自分探しの糧やエンジンをかける機会になればいいと思った。

などです。

 

なるべく、毎日更新していくので楽しんでいってください❀