皆さんお久しぶりです。
少し前にブログの書き方などの勉強をしたので、それにのっとり文を書こうと思ったのですが、今日は今にも消えてしまいそうなこの想いや気づきを残すために、ぐちゃぐちゃに書きます。
この日私は夜遅く家に帰ると、門のところにとってもお行儀よく猫が立っていました。よく見ると数年前に亡くなって、庭に埋葬した、前飼いネコにそっくりな子でした。
名前は呼んでももちろん反応しませんが、車に乗っている私のほうをじっとり見ていました。そして近寄ると逃げて暗闇に消えてしまいました。
この付近では見かけない柄の猫だったので、今日はなにか特別な日なんだなと確信しました!!
というのも!
私は家庭教師を数カ月前からしているのですが、継続していかせていただいているお宅が3件あります。その一軒、記念すべき私の家庭教師人生を開いてくださった功刀さんのお宅に今日は運命かと思うほどの恩を感じました。
私は去年7月末に仕事を辞め1年たちます。
最初の半年間も今までもずっと内心は不安があったり、自分は何をしたいんだろうと自分一人で考えていて自分に毎日問いかけ続けていました。
私は基本何でも器用にやってしまうタイプなので、途方に暮れていました。
これだ!!!というものが欲しかったのです。
家族にも厳しく言われることがあったり、親戚に意見をもらったり、いろいろな人から意見をもらったり、自分の中では一意見と考えて、自分のペース絶対に崩さないようにと毎日毎日考えてきました。
いままで、進路を決めるとき周りの方のもったいないとかの声や、好きだった人や、恋愛など、ほかの人間関係などに引っ張られて、自分のペースを保てなかったところがあります。
こんなフリーターしているような私、せめても接する人に笑顔で絶対に心配かけちゃいけないなって思ってやってきました。
自分の不安もちゃんと自分で振り払って、かなりきついです。きつかったです。
おかげで精神的自立につながっているような気もします。人生の目標の一つにより真の通った精神的自立した女性になっていくか、というものができました。
死ぬまでの目標です。
苦しかったし、本当に不安でした。自分でも気づかないように絶対にそのことで泣かないようにしていましが、今日泣いてしまいました。
話がやっとここで戻ります。
いつも通り家庭教師に行って、生徒さんは夏休みなこともあって、ここ最近1カ月は少し勉強が億劫になっていました。彼自身中学では不登校で、もともと勉強は得意ではなく、でも今も頑張っています。私が行く前にしっかり宿題も終わらせて、私がやりたかったテスト直しをすることができました。彼はやる気は出ないけど、私が頑張れとかいうと頑張ってしてくれます。たまにスマホいじりますが。
終わるころにはありがとうございますといって去っていきます。
お母様と終ったあといつも学習状況を話すのですが、いつもにこにこと、息子さんのことを心配する表情もしながら見守るような顔で、話をしてくれます。期待と心配が混じったような話を。いつも通りありがとうございます。と言われて帰りました。
もしかしたら、私の優しい笑顔に・のほほんとしたおっとりとした雰囲気に安心してその顔を見せてくださったのかなとか自意識も少し感じました(笑)生徒さんに好かれているのも、その雰囲気が意識しなくても自然と生かされているのかなと。
毎回冷えたお茶を一本用意しておいてくださって、私も毎回ありがとうございます。と返し、玄関顔が見えなくなるまで見送ってくださいます。帰りながら、お母様からの感謝をすごく感じて泣いてしまいました。とても幸せだったのです。
そこで私は、私が先生という立場が好きな理由や人に教えることが好きな理由、
そして、昔から元気のない子や浮いてしまっている子、
闇を抱えていそうな子に声をかけに行っていた行動、
なぜか友達と会うといつも笑いの爆弾係みたいになったり、
楽しく過ごせるのも一緒にいる人が私といて楽しんでくれるのも、
そして昔ずっと好きでいた人、今の好きな人、似たようななぜかそれに自然と惹かれてしまう理由が
パーッっと開けるように一つに終着しているようで、それがわかったのです。
私は感謝されるのがすごく好きだから必要以上に人に尽くそうとするし、喜んで笑顔になってもらうことが好きで、笑ってない人を笑わせたいくて、
お菓子を作ることが好きで、機械に向かう仕事は好きじゃなくて、
人の顔色伺ってブルーになることはあるけど、やっぱり対人の要素がないと私の幸せ度合いが上がっていかないというかその方法をとれば私は幸せを感じ続けれるのだろうなということに気づきました。
ある意味人を笑顔にしたいという呪いのような感覚でもあります。
家庭教師は転職だったのかもしれません。人の可能性を広げることも私は大好きなんだなということに最近気づいたので、これからは、それ越しの笑顔だったり感謝のために生きていきたいというか、それが私の人生終えるまでの道しるべな気もします。やっぱし単純な言葉って、しっくりきますね。
きっと、地味なもの着実なものでなく、追加的に人を喜ばせたりエンターテイメント的なものが私の性にはあっているようです。人によればこれは地味なのかもしれません(笑)
(今日は、気が合って、仲の良い、私とそっくりな姉ともカフェに行ったのですが、
私が神戸に行く用事があるのですが、
姉は例えば神戸に用事があるけど一緒に行く?って現実性もないのに80歳祖母を誘うんだろうなと思って、
私は考えて一緒に行動する時間あるかなとか。でも姉はきっとそうするだろうな。
家族がみんなで少しでも楽しむことや一緒のことをすること楽しんだり。周りの人に対してもきっと回りくどいこと考えず考えれなく(笑)そうするのかなと、姉は仕事で疲れていてもみんなの声聞いてあげてるし、ほんとにあったかい人だなと父方の母の遺伝かななんて感じながら、あったかさを感じました。私もきっとその気が少しはあったのでしょう。あってホッとするような人にもなりたいです。)
やはり、サポートする仕事したいです。そこにばかりに依存はしたくないので、物を作るという自己満的な要素も追加して。
なんとなく道しるべが見えてきたので、今迷っているアルバイトや来年学校へ行ったあとの進路など、より人とかかわれるような仕事いいなと思います。
そして今私の中でキテいる人、彼は美容師志望です。きっと彼も気づいてはいませんが、私と同じようなそんな単純な理由で色々なものと引き換えにその道を選んだのかもしれません。私は、彼のその単純さと鈍感さと無鉄砲さに魅了されたのかもしれません。彼の夢を、私は私ごとのように応援します。というか、そこに矢印が向いているなら応援せざる負えません。元カレと違うところはそういったところだったのでしょうか。(笑)←ちょっときついですかね(笑)
美容師さんってやっぱりお客さんからありがとうと毎日絶対に言われますよね?それって本当に素敵なことだし、大変だとは思いますが、素敵な職業な気がします。私の通っている美容室の店長さんもとっても素敵な方です。
頭を使うような難しい職業は、スケールが大きいですし、年収もいいですが、イメージ的には、年収も低いような俗な仕事のほうがスケール小さいですがそういった感謝や感動を直に見ることができるような気もします。
私は頭は使えるようですが、いったん置いといて、いつかの時に使えればうれしいです。
前の仕事辞めてよかったし、今まで地道に苦しんで精神的に耐えてきたのもよかったし、接客業が好きと言っていた前職の店長に会いたくなりました。
出会った皆さんに感謝です。
果たして最後まで読み切ってくださった方はいるのでしょうか?(笑)